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色見えでうつろふものは世の中の人の心の花にぞありける
(恋歌五 797)

(私訳)
花が色褪せる時ははっきりと分かるけど
男性の心の変化は
目には見えずに変わってゆくのねえ
(末尾の「詠嘆」=「ける」をうまく訳せませんでした。すみません。)

(語句説明)
色見えで
((花は色の変化がはっきり分かるが、人の心は)はっきりと見える(色のような)変化なしで)

うつろふものは
(変化するものは。うつろう=移ろう)

世の中の
(男女関係(=世の中)での)

人の心の
(人の心の)

花にぞありける
(花なんだなあ。「ける」は詠嘆の助動詞なんだそうです。「人の心の花」で、人の心を花にたとえる)


(解説?)

植物の花の変化と、恋心の変化を比較対照しています。「心の花」という言葉で、双方を結びつけるのは、比喩の使い方として、とても美しいとも思います。

色という言葉は、仏教で言う色相(肉眼で見えるもの)なのだという注釈があります。(「日本古典文学全集 古今和歌集」小学館 小沢正夫著。この「色相」については、ちょっと調べても、確認できませんでした。)

自分を愛してくれていた人の、変わらないと思っていた心が、変わってしまったんでしょう。小野小町先生が絶世の美女だったかどうかは不詳ですが、どんな人にも失恋は訪れます。そのことを正直に率直に歌った、それでいて華やかな、そんな歌のように思えます。

それでも花なんだ、と歌う小野小町の歌の力強さ。決意と覚悟の歌人だったと言いたいんですが、定量的な根拠はありません。

落ちぶれてみじめに死んだんだぜ、なんて言った奴出てこーい。
とか思っちゃうんですが。
死んだ人は反論できないわけで、ああいう伝説嫌いです。
その伝説を作った人も。