下つ出雲寺に人のわざしける日、真静法師のだうしにていへりけることを歌によみて、小野小町がもとにつかはしける
あべのきよゆきの朝臣
つつめども袖にたまらぬ白玉は人の見ぬ目の涙なりけり
(恋歌二 556)
返し こまち
おろかなる涙ぞ袖に玉はなす我はせきあへずたぎつ瀬なれば
(恋歌二 557)
(解説?)
こんな歌を作るから、後の時代に高慢な性格だったなんて言われると思うんですが、ちょっと辛らつで楽しい友達付き合いに思えるんですが。
試訳としては、まあ、法事で故人を偲ぶ気持ちを、裏で恋心にたとえているテクニックを再現できる自信はないんですが...
安部清之君
「あなたに会えないんで涙があふれちゃってハンカチじゃふききれないよ」
こまちちゃん
「わたしなんかもっと感動しちゃってハンカチどころじゃないわ。あなた、あんまり信心深くないわね」
山村美紗先生の解釈に従えば、うれしい、だけど、みたいな感情を小野小町は持ったのかもしれません。
時を越えて、愛すべき女性と思えるのですが、皆様、いかがでしょうか?
鎌倉時代に、ストイックで殺伐とした暮らしをしている武士(みそを肴に酒を飲むなんてカッコ良くて、鎌倉武士って好きなんですが)やお坊さんには、法事で流す涙にかこつけて、恋歌を交わすなんて、けしからん!てとこなんでしょうか。
まあ、後の時代に昔の人の悪口を言うのも、お坊さんなどには楽しかったんでしょう。あの恋愛沙汰にうつつを抜かしていた小野小町は落ちぶれて死んだんだぜ、とか。死体なんて野ざらしだったんです。けしからん暮らしをしていたからですね、とか。