おきのゐて身をやくよりもかなしきはみやこしまべのわかれなりけり (墨滅歌 1104) 海の歌人、時々、そんな風に思わせる作品があります。小野篁の孫とする説に賛同してしまうのも、こういった海の歌があるからなのですが、さて。 (とっても硬派の篁先生、喧嘩しちゃって、遣唐使に参加せず、隠岐に流されちゃったとか。そのとばっちりで、幼少時の小町先生も、海のそばで、庶民と親しい暮らしをしたこともあったのではないかと、思ったりします。)